団塊の世代周辺の人たちの子供時代の人気漫画に鉄人28号というのがありました。今も神戸の長田駅近くに、鉄人28号のモニュメントがあります。
空も飛べて最強のロボットですが、AIの機能はなく、操縦かんによって操縦されます。よい人に操縦されれば、人類の味方、救世主なのですが、悪い人に操縦かんを奪われ、操縦されますと最悪の事態になるのです。
ただ、鉄人28号が悪い人に操縦され最悪の事態になっても、誰も鉄人28号を責めることはありません。操縦した悪い人が責められるだけです。
今回、日大の監督・コーチが悪い人で、日大のDL(ディフェンスライン)の選手が鉄人28号なのです。
監督・コーチは自分らが操縦していたとしても、何らかの誤作動があったのだと主張しています。しかし、たとえ誤作動があったとしても、鉄人28号に責任を押しつけることは出来ません。責任はあくまで、操縦した人にあるのです。
今回、監督・コーチは「自分らの行為と選手の理解との間に乖離があった」と言っています。しかし、そのことは本当は問題ではないのです。
乖離はある、だから、責任がないという趣旨の会見になったのが問題なのです。乖離はあるが、しかし、責任(道義的責任)は監督・コーチにあるといっていれば、炎上しなかったはずです。
ただ、刑事責任については、乖離があれば責任(刑事責任)はないという主張は可能なので、先行して刑事責任まで認めたと、とられることをおそれたのかも知れません。
道義的責任を認めておいて、刑事手続では刑事責任を否定すればよいだけのことです。
いやー、私が弁護士でついていていれば、もっと、ソフトランディングできたかも知れませんね。